地震予知はどうあるべきか?
「地震予知」とはどうあるべきか?天気予報のように、「今日のお昼過ぎから東北地方の太平洋沿岸部で最大震度XX程度の揺れがあるでしょう」なんていう地震予知を想定している人は、さすがに今の時代にはいないと思いますが・・・。
でも、明治時代の地震大国・日本にとって「地震予知」は悲願であり、ひょっとしたら前述したような天気予報のような地震予知を目指していたのかもしれませんね。そして、そんな日本の地震学は挫折の繰り返しの歴史だったのでしょう。
実は、今から約100年前に起きた関東大震災も、地震学の研究者にとって挫折のひとつだったのです。しかし、そんな日本の中で、当時、関東大震災を予知していた人がいたのです。東京大学の地震学を研究していた助教授・今村明恒さんです。当時としては、大地震の周期性を発見したことだけでも凄いことだったのですが、数10年単位での予知が限界でしたから、今村助教授の地震予知の警告に対して、「嘘つき」とか「デマ」だとか「大衆を惑わせた」とかいうことで、非難が殺到してしまったのです。そして、その予知から約7年後、予知がすっかり忘れ去られた頃に、関東大震災が起きたのです。
私のような素人が考えてみても、上空の雲の動き、温度、湿度などが科学の力で把握できるようになったからこそ、今のように精緻な天気予報が可能となったわけです。将来、地下何千m・何万mのマグマの状況やプレートの動きが瞬時で把握できる時代がくれば、地震予知も今よりもっと正確に割り出せる日が来るかもしれませんが・・・、現状ではまだまだ自然界には太刀打ちできないと思います。
昨年、政府が東海地震の予知計画を断念し、防災中心の研究に完全に軸足を変えたことは、賢明な判断だと思います。100年前の日本でも、より精緻な地震予知を期待するのではなく、防災に対してもっと力を注ぐべきであったという反省が背景にあるのでしょう。
地震予知は、今後も進展していくと思いますが、その限界を知って防災に力を注ぐべきという教訓は、活かさなければならない時です。
関東大震災を予知した二人の男 大森房吉と今村明恒
前述したように、関東大震災は予知されていたのです。その予知をどのように説明し国民に理解させるべきだったのか?二人の地震学者、大森房吉と今村明恒は共に、関東大震災の可能性を予感していたにもかかわらず、どうして二人は大論争となり、地震予知を公表した今村明恒は国民から非難される結果となったのでしょうか?
その謎を解明するカギの一つは、この本に描かれています。
関東大震災を予知した二人の男 大森房吉と今村明恒 [ 上山明博 ]
1923年9月1日、そのとき地震学者はー関東大地震を「予知できなかった男」と記憶された東京帝国大学地震学教室教授・大森房吉、「予知した男」と記録された同助教授・今村明恒。権威の責任とは、研究者の正義とは何か。ノーベル賞間違いなしと謳われた地震学の父、大森の信念に初めて光を当てる感動長編。
そして、謎を解明するカギのもう一つは、2018年2月22日(木)にBSプレミアムで放送されるフランケンシュタインの誘惑「幻の地震“予知” 日本を揺るがした大論争」という番組です。
>> フランケンシュタインの誘惑「幻の地震予知」の再放送は?大森房吉と今村明恒の論争の真相は?